デビュー40周年の幕開けに際し隠されていた逸話や今だから明かせる本音など
世良が語った17,000字を超えるロングインタビューを公開!

普段の何気ない日常がかけがえのない日々に思えてくる人生観や生き方のヒントが音楽観を通じて見えてくる。
完璧じゃない自分を認め、受け入れ、その自身のあるべき姿を追い求めた本質とは?
音楽ファンのみならず必聴必読!!

「自分に対して“足りねぇ”ってずっと思ってきた」

2016年10月中旬。約1ヵ月後の11月25日にデビュー40周年に向かう節目を迎え、12月14日には61歳となる世良公則は言った。

完璧じゃない自分を認め、受け入れ、その自身のあるべき姿を追い求めた彼の本質を形にした3枚のアルバムがある。2001年2月に発表の『nobody knows』、同年12月の『Born to be Rockin'』、そして翌年2002年9月の『1977』。全て、自主レーベルよりリリースしたものだ。

この3作をリマスタリングして1つの作品として表現した『SPICULE』が40周年の幕開けであるデビュー日に届く。

この作品はリマスタリングであるから、当時の演奏と歌が使われている。しかし、世良公則という人間を深く理解したマスタリングエンジニア・田中三一氏の手により見つめ直され、研ぎ澄まされた楽曲たちは、エッジーでガツンとした重みがあり、今の世の中に、現代のロックンロールとして響く。そして、2016年を生きる私たちにリアルなメッセージを投げかけてくる。“完璧じゃない”音楽が今の技術と感性で更新されたそれには、瑞々しさと生々しい熱が宿り、まるで新作に触れた感覚を連れてくるのである。
また、世良公則というアーティストの歩みにとっても、この3枚は大きなマイルストーンとなっている。1990年代後半から彼は、強くて頼りがいのある兄貴、ロックスター……そういった“鎧”というべきパブリックイメージを自らの意志で脱ぎ捨て、1人の人間として己と対話した。アコースティックギター1本でステージに立ち、また自身を削って音楽を作るという過程を踏むことで、自己改革を行なった。その意識の変化を形にしたアルバムでもあるのだ。そして現在も続くGUILD9のメンバー、野村義男、高砂圭司、横瀬卓哉、神本宗幸がそれぞれ参加している作品でもある。

---『SPICULE』のリリースでデビュー40周年が幕を開けますね。

「今年2016年に還暦を迎えて、11月25日から来年に至る1年は40周年。その節目に向けて、不思議な“縁”の流れみたいなものを感じているんですよ。少ししんみりした話になるんだけど、来年7回忌を迎える親父が亡くなる直前まで広島東洋カープの試合をラジオで聞いていたことを、思い出してお袋と話してたら、25年ぶりにリーグ優勝したりね。あと、ここ1、2年で30数年間音信不通だった、アマチュア時代のヴォーカリストと再会したり」

---それは世良さんが最初にやっていたバンドの?

「そう、最初に僕がベーシストとして入ったバンドで、彼とは東京に出るまで一緒に活動していたんです。で、その再会がキッカケでアマチュアの時のメンバーが全員、僕の大阪でのライヴの楽屋に集合したり。それまでお互い、別々に人生というものを生きてきたわけだけど、ポンと1つになる。そこで励まされるものもあったし、彼らの夢を背負って39年やってきたんだな、という自覚みたいなものも感じたんですね。そういう再会もあったりして。40年という時間を感じたんだよね。デビューから10年、20年 経った時や40歳、50歳になった時、そういう節々は普通のことだったのに」

---言ってしまえば通過点だった。

「普通に毎日の繰り返しの一部だったんですよ。でも今のレコードレーベルになってから、アニバーサリーに対して警笛を発してくれるスタッフがいるし、新しい出会いがあったり、ひょっとしたら終わっていくものがあったりするのを、認識しながらの次の10年になるのかもしれないですね」

---縁とか運命の巡りですよね。意識して過ごしているから気づくこともあるでしょうけど。

「海外の友人もそうだけど、みんなと出会ってやってきたことが39年目に集まってきたな、という感覚があるんだよね。その今、インディーズで作っていた3枚のアルバムがリマスターで出る。この3枚はある種、僕の欠落していた歴史みたいなところがあるんです。インディーズということで、全国流通もしていないし、時々オークションサイトにポロッと出てくる、ようは姿のない作品集というか。それが実態となる。しかも、『SPICULE』の3枚は、ミレニアムを越えて、21世紀を迎えた僕が、1回目の清算みたいなことをやっているんですよ。メジャーを意識する必要がないからこそ1回出し切ろう、そしてここからの10年も頑張ろうと思っていた。だから、『SPICULE』の中では、アマチュア時代に当時のメンバーと培って、彼らにもらった夢とか、僕が変わりに背負って東京に出てきたことを歌っている曲が沢山あって。そういう、永遠に背負っていくであろうテーマがこの3枚のアルバムに全部あるんですよ。そのターニングポイントになったものが、40周年に向けて形になって、その存在を知らなかった人にもちゃんと認識してもらえる。そして、自分自身も、節目をキチッと意識して70歳に向けて覚悟を決める、そういうものになりました」

---メジャーでの頂上を見た世良さんが自主レーベルでアルバムを出す。当時の意気込みはどういうものだったんでしょう?

「 “俺がカッコいいと思うものを作っていいかな”って話をしたら、“それだと自主レーベルでなきゃ駄目だ。でも面白いよね”言ってくれた人がいて、そこに尽きるかな。ここで自分として1回吐き出す必要があったし。 “この歌詞を描く世良だったら20年後もアーティストでいるだろうな”というもの。“メジャーのヴォーカリスト、有名人、映画やテレビドラマにも出る世良公則じゃなくて、毎晩ギターを弾いているとか、アコースティックライヴに繋がる自分探しをしている姿をリアルに音楽にするには自主レーベルが今の時期一番いいんだろう”、ということを僕以上に周りが思ってくれたことに感謝しています。表現者としてフロントに立って前線を走っている自分と、“個”として誰も見ていない自分の部屋で、自分と向かい合ってる僕がいる。その個として削っているものを出しましょうと言ってくれることに対して、“やろう”となれたしね。だから、押したら芯が出てくるシャーペンみたいなものじゃなくて、鉛筆をナイフで削って、その削り糟も全部見えているようなものというか。削り糟にも価値がある、それをやったのが『SPICULE』に入れた3枚なんだよね。1回やっておけば、以後メジャーでどうやって自分を削っていくかが見えてくるだろう、と。実際、鉛筆を削った糟も音楽なんだっていうことを確認したその後、海を渡っていったり。ギター1本を担いでいろんな場所へ行くことも面白かったし。それこそジャンルを超えたセッションを含めやってきた。ここまで進んでくる、いい体作りになりましたよ」

---メジャーシーンを駆け上がっていく途中の世良さんに、アンダーグラウンドでやっている人たちに対して思うところはあったんですか?

「当時、自主レーベルとかでやっている人たちを見て、好きな人もいっぱいいるんだけど、それはアンダーグラウンドであるべきだな、と思ってた。ただ、彼らとセッションする機会があると、隠れツイストファンだったり(笑)。もっと下の世代だと、彼らが好きだと言っているアーティストがツイスト世代だったりして。その時に、メジャーもアンダーグラウンドもないな、と。結局は何をやるかだし、メジャーだから、自主レーベルでやっているから、ではなく、両方ないと面白くないな、と考えるようになったんですね。同時に、両方あることによって、音楽も文化になるし、カルチャーとしてパワーを持つのに、別々のものになってしまっていることを残念にも感じてたよね。インディーズには腕1本で誰にも頼らずに牙を剥きだしているヤツらのエネルギーがあるし、メジャーにだって、同期でトップを走っているやつがいるわけで、それは大変なことだってわかっている。で例えば、リハーサルに行ったらどっちの畑のバンドも同じスタジオで練習してたりする、なのに、全体として音楽ファンを摑んでない。メジャーの人は降りてこないし、これないし、セールスでトップ10に入っている日本のミュージシャンからはアンダーグランウンドに匂いがしなさ過ぎる。アンダーグラウンドの人たちの多くはメジャーに対して批判しか持ってないという時代でもあって。そこに違和感があったんです。僕は、メジャーでも、若手で今からという人たちでも、“いいよ”ってギター1本で行って、バン!っと演奏するような活動をしてたから、どっちもカッコいいのに、どうしてここにトンネルがないんだろうって。アメリカだとかにはそれがあるんだよね。メジャーでやってるバンドマンが、ライヴハウスでタトゥーだらけのアンダーグラウンドのアーティストと親友で、“ヘイ!”とかやってる。そういった真ん中がスコンと抜けている感じは海外のプレイヤーとプレイするほど感じた」

---「SPICULE」を聴くと、オーバーグラウンドとアンダーグラウンドの壁をブチ破っているというか。世良公則という人間を掘り下げる中で、パーソナルだけど“開いている”作品だと感じたんです。

「僕としては、表に対してやったわけじゃないというか……例えばメッセージとして、“お前らこうじゃないか?”というリスナーに対しての問いかけではなくて、自分に向けてだったんだよね。自己改革を40代半ばまでやって、自分自身に向かって、“おめぇ、真ん中がないじゃないか?”って言ってみたの。人のことはいい。“世良、お前インディーズでやっている連中のような牙をなくしたんじゃねぇか”って言われたら、“まぁこれを聴いてごらんよ”って言えるくらいに、自分に対して、“お前、自分の内面を埋めとけよ”っていうつもりで作った。だから、ここで弾いているギターは素直な音だったり。パッと生まれた一行の詞が“僕を許さないで”だったなら、それを言っちゃう。『僕という存在の理由』の中には“君が唄う その未来に 君は笑顔で唄っているか”ってあるけれど、これも自身に言ってるだろう?っていうものだよね。そうやって問いかけて、でも僕はずっと笑顔で歌ってきたし、それは絶対引けを取らないな、というふうに向き合ってた。“もしも、君になれたら ボクを愛せるのかな”と歌ってみたり、“閉じられたシャッターを叩き続けたら走れるんじゃないかと思ったんだけど、汗まみれになって。ボーッとしてたら風が気持ちよくて、俺って優しい人間になれたのかもしれない”とか。リマスタリングしたものを聴いていたら随所で、内面を自分で埋めて、次に走っていくっていう、歌詞を歌っているわ、と思って(笑)。それはなんだろうな──2000年に入って、ロックミュージックがビジネスとしても成功するようになったよね。でも、僕が夢見た、ロッカーとか曲を書くアーティストがアルバム賞を取るというアワードってなかなかないでしょう? 少し話が飛んじゃうけど、デビューの時に『日本レコード大賞』の新人賞を辞退したのね。それは、毎日必死になってテレビ局で自分のレコードを1枚売るために頑張っている歌手の人、作詞家、作曲家にあげる賞であって、ポッと出てきたロッカーのものではない気がしたからなんだよね。なんか反逆者みたいな言われ方をして残念だったんだけど、本当は、僕たちが本当に活躍するようになったらそういうアワードを作ってくれよ、っていうつもりだったのね。一時期面白いかな、と思ったアワードもあったけど、結局はその時のファッショナブルな音楽だけフィーチャーされて、海外のように、カントリーからジャズからロックまでを押し上げるものにはなっていない。もちろん海外のほうが市場は大きいですよ、でもそれで終わらせたらだめなんだよね。その向こうの様なアワードの礎作りみたいなのができていないのは、先を走っている僕たちの責任かな、とも思うし。継承がうまくできてないのは残念だよね。そういう課題に対して、2001年を過ぎて、向こうのミュージシャンと交わるほど悔しいと感じていたのは事実だけど、ただその悔しさの対象は、日本になくて、憧れたローリング・ストーンズにあったのよ」

---日本の音楽シーンに対してものを申しているわけでなく、世良さんの心に今も残る憧れの存在へ近づきたいという想いが曲の源流なんですね。

「そういうことですね。ローリング・ストーンズもポール・マッカートニーも、70歳代になっても世界でツアーをやってステージで走り回っていて。その礎みたいなもの、彼らが支えられているものって、恐らく70歳代やもっと上の世代から10代までのリスナーであり。逆にキースやミック、ポールがやってきたことが、10代20代の“ミックはもう歳だぜ、俺らが世の中変えてやるぜ”って言ってるような連中を支えてきている。そこに対しての想い。自分が10代の頃に憧れた海の向こうの音楽に対する憧れと悔しさが60歳になった今でもあるんですね。それは40歳の頃にもあって。3枚のアルバムの中で、そういうことを含めた、自分に向かって吐いておくべきこととして曲にし、中を埋めて、次へ向かって走っていく。それが今、60歳代になって40周年を迎える時に実像となることの意味にもなっているし。『SPICULE』で吐いている言葉やサウンドが中を埋めてきた僕そのもので、ここから根や芽が出てきたものが今なんだよね。GUILD9がまさにそうだし」

---『SPICULE』に入った3枚は、以後の世良さんを作ることになる種子であり、土のようなものでもありますよね。

「もう1回自分という土壌に向かって汗を流すことをこの3枚のアルバムでやったの。それこそ先月も、北海道で4日のうち3日ライヴをやってきたんだけど、そうやって、キチッと土を起こして空気を入れて土壌を大事にして同じ種を蒔くことを今日までしてきたんですよね。僕がやっている演奏──どういう編成でも、テレビ出演でもライヴでもセッションでも、必ず自分の土壌をキチッと掘り起こして、栄養を与えて繋げていくことの繰り返しを今やれているのは、2001年から2002年にもう1回、自分に向けて吐きかけたからだと思う」

---3枚を作ったことでそれ以後の未来が形づくられた一方で、それ以前に世良さんが吐いていた歌もまた説得力が出たというか。こういう人だからこの音楽なんだ、だから力があるんだ、と前の曲に対しても思えました。

「当時、このアルバム3枚を形にしたことで、それ以前の楽曲も好きになったしね。吐きたいことをそれまでも形にしてきてたことが、この3枚で自分で意識して形にし直してみたらハッキリして。例えば誰かと共作していた詞にしても、こういうことがやりたくて、伝えたくて、詞を描いてくれた彼と一緒に作ってたんだな、とか。スタジオで僕が言ってたことというのは、この歪み感なんだな、綺麗に着地していないこんな感じを望んで、彼らと音を鳴らしていたんだ、とか。それがわかったことで、それまでは真意は伝わらないだろうから、という理由で敢えて歌わないようにしていた曲も、いい曲だったよね、今歌ったら伝わるかもしれない、って歌うようになったり。あの時そう感じられたことで、今も歌っているというのもありますね」

---その世良さんのアルバムが、今のクオンタイズされた(録音後のエディットでリズムが寸分狂わずに揃えてある)音楽が溢れる現代でどう響くのか、興味があったんですね。それが、ミュージシャンの呼吸感、ギターとヴォーカルにある揺らぎ、そういうものが“今”の音楽として響いてきて、リアルなメッセージを投げかけてくる。よく“古き良き”という枕詞が付けられるロックンロールだけれども、そんなもではないんだ、とも思いました。

「そうだね(笑)。ヴォーカルもそんなにリバーヴをかけてないし、艶めかしいし。リマスタリングしたものを聴くと、ともするともっと上手に歌えただろう、というところもいっぱいあるんだけど。上手に歌うことじゃなくて、この詞でどれぐらいヴァイヴしているか、ってことで歌ったんだろうね。2、3回歌ったらもう歌わないみたいな感覚でいたし、バンドとほぼ一緒にヴォーカルを録ってますぐらいの勢いだった。もちろん別々には録ってたんだけど、リズムと演奏を入れてすぐに歌とギターソロを録ったら、次の曲のリズム、という感じで、何日もかけない。今を刻むという勝負の仕方をしていたしね。その“今”というのは、例えば歌舞伎のような、伝統何百年ということに取り組んでいる方の話を聞くと、“古いものを守るだけでは、伝統ではない、進化しているからこそ伝統なんだ”と言う、そういうものなんですよ。最先端の空気を取り入れたり、その時代の“かぶきかた”をしていることが伝統だと。古いままを守っているのであれば博物館に飾ってるようなものなんだよね。日本のロックも、僕らの先輩から続いてきて、まだちゃんとしたアワードもできていない世界が悔しいのは、そういうことでもあって。僕なら40年、最先端の今の連続でキャリアが息づいているわけだし。10年なら10年分、昨日デビューしたなら、昨日から今日へと時間を跨いでることの凄さがあるのに、それが全体としてはカルチャーの熟成に至ってないっていう。2001年の曲、2002年の曲も今演奏した時にカッコいい!と思えるから面白いんだよ。ただ単にリフレインしているわけじゃないし、進化し続けてきているわけだから。それを劣化と受け取る人もいれば、進化していると取る人もいる。でも、基本的に古きよき、なんてものは存在しない。この瞬間素敵だね、っていうものだと思う。それを僕が続けることで古くならないのが大事だよね。止まってしまえば、1日ごとに古いものになっていく。だから僕が死んだり何かで止まったとしたら懐かしんでもらうこともあるかもしれないけれど。僕の音楽がこの世の中から消えても、人はまったく困らないからね。所詮そんなもんだと思っているしね。だからこそ今が音楽に息づいていることはとても貴重だし、とても素敵なことなんじゃないかな。そういう意味で時間を超えて今やっていることの凄さみたいなものは痛烈に、このリマスタリングで感じたし。今回のリマスターは、エンジニアの田中さんとレーベル担当者が基本的なところをやってくれて、僕は1、2箇所思うところを伝えたのね。それもセッションだから全面的に信頼しつつ。で、仕上がったものを聴いて、僕が吐き出していたものがこう聞こえるんだ、っていう新鮮さがありました。“古い音源をリマスタリングして出すの?”と疑問に感じる人もいるかも知れないけれど、今の耳で今の時間で切り取ったこの詞とサウンド、演奏は2002年では聴けなかったよ、っていうものになっているよね」

---エンジニアさんとのセッションで今の空気が入った、2016年に進化した音楽ですよね。でも世良さんはここに収録された音楽を今もライヴでプレイしていますから、更に先に行っているわけで。そんな世良さんにはどう聞こえたのか興味があったんです。

「カッコいいの一言ですよ。素敵だな、って。田中さんとレーベル担当者から、“まぁ聴いて下さいよ”という、勝利宣言みたいなものが早い段階から届いたしね(笑)。エンジニアとして感じてくれているエネルギーとか僕の“塊(かたまり)”みたいなものを今回 “世良は以前からやってたんだ”って感じで見つけてくれたんだと思う。それまでは苦労したんだけろうけど。だから、作らせてくれた人も素敵だし、携わってくれた人も素敵だし、演奏してくれたミュージシャンも素敵だし。よし、これをまたエレキでやりたい、って思えた。演奏した瞬間、これよりも最先端のカッコ良さが生まれるわけだから。そういう転がり方ができるアイテムだなって感じてます」

---僕は世良さんと世代が違いますが、2016年を生きている中で、刺さってくるリアルなメッセージを受け取りました。例えば、歌詞では「風船」に“カガミ覗き込む度に「おまえは誰だ !」 「何者なんだ !」 って叫んでたり……”とあって。これは、世良さんの姿を捉えたものなんでしょうが、自分も未だに感じていることなんです。

「うん、毎朝感じるよね(笑)」

---それは20代の子たちもそうだろうな、って。“ゆとり”だとか大人から言われているけれど、中にはこういうことを感じている子はいるんだろうな、って。そういう変わらない人間の想いが音楽として響いてくるんです。

「そう感じてもらった瞬間に、世代、性別、世良を知っている知らないに関わらず、結び付きができるんじゃないかな。たった1行の詞、ワンフレーズの音楽が、聴いてくれた人を結び付けてしまう可能性を信じてやっているんですよ。“俺ももう60歳だし、古き懐かしい曲をやって”じゃなくて、“ひょっとしたら18歳がこれを聴いてビビるかもしんねぇ”とか思いながらね(笑)。逆にみんなに “世良公則ってオジさんかと思ってたけど、結構俺たちのことわかっているよな”って言われるものだったら、それは媚びてわかった風に描いているものだよね。僕はただ自分に向けて吐いていて、それに対して“あれ? この1行キタよ”とか、100人に1人か1万人に1人かわからないけど、誰かに刺さってくれたらなら、そこには強いエネルギーがあるんだろうな」

---それはいつの時代でもそうなんですよね。

「そう、もともと僕たちはそれをやったんだよね。大人たちにツバを吐いて、それが返ってくるのも知らずに。“なんだよ、誰も分かってくれねぇ”とか“青春を走ろう”とか言いながら(笑)。同じことなんだよね。結局僕が50年前に感じたことも今の子たちが昨日感じたことも同じ。それがわかるといい意味で否定するものがなくなっていくのね。周りの音楽をやってる人に対して、お前はこうじゃないよね、とか昔はなってたけど、今はその人としてあるべきものであるなら、全部があっていい音楽だと本気で感じているしね。結局は1枚剥いで、2枚剥いで、ってしていくと残るものって同じだよね。キース・リチャーズがなんでスカルのリングをしているか、って“大統領も俺も皮を剥いだら同じスカルだろ”ってことなんですよ。音楽は人間を区別しない、っていう意味でいつもスカルを身につけている。それに尽きるよね。この3枚で僕は自身を剥いで身につけるべきスカルを見付けているっていうことをしてたんだな、って改めて思わせてくれるものになったよね」

---しかもその形は世良さんのスカルなんですよね。周りから見た世良さんは、自由にやっていていいよな、強いよな、って存在であるのに、内面を掘ったこの作品で──例えば「美しい月」に“孤独”という言葉が出てきたり。

「その“孤独”も、バーカウンターでバーボンを呑んでたり、独りスポーツカーを飛ばしているとか(笑)、そういう大人の孤独とは違うものなんだよね。このアルバムを作っていて1人でレポート用紙を拡げて詞を描いているっていう、テーブルと鉛筆とレポート用紙と僕だけっていう数畳分の孤独感」

---半径数メートルの日常を音楽にしたもの。「美しい月」には、“つないだこの手”をただ1つの確かなものとしている。孤独な時間を過ごしながらも、君と繋いだ手から伝わるものによって、人の繋がりと、そして同時に自身も君も“個”であることを感じているんだな、と。

「そういうことです」

---「news」もそうですよね。発表から15年ほどが経っても、テレビからは同じように哀しいニュースが流れている、人間って進化しないな、と感じたけれど。そう思いつつ君に会いに行く温かさに惹かれたりしました。

「君に会いに行くよ、っていう気持ちがあればいろんなことに耐えられるし、辛い気持ちも楽しいものに入れ変わっていく。それは青臭いし、40歳代のお前が言うか?ってものかもしれない。でも、いいじゃない、言っても。未だに命が消えたというニュースが流れていて、そこで暗くなるけれど。いざライヴだと思うと気持ちも明るくなるし、好きな人に会う、美味しいものを食べる、そのことで笑顔がこぼれるし、一日中泣いているわけでもない。でも、当事者になったらもっと現実というものが迫ってきて。それでも時間の経過や、誰かと手を繋ぐことで癒えることもあるだろうしね」

---「news」って、ある心境下では、哀しいことが世の中で起こっているのに、好きな人や子供に安らぎを覚えることに後ろめたさに似た感情が刺すかもしれない。でも、その完璧になれない自分も含め人間というか。

「たぶん若い頃は、同じ場面で、そこに正義感とかヒーロー感、カリスマ感が顔を出してくるんだろうね。もちろんそれが、20代とか30代のリアルだからいい。でも、40代に入っていった時に、孤独は孤独なまんま、哀しいものは哀しいまんまでいいと僕には思えたんですよ。そこでカリスマになる必要もなければ、強い世良公則でいる必要もないし。ああ哀しんでな、でも……。その“でも”に続くところに、世良ってカッコいいよな、世良って怖ぇよな、無邪気だよな、お茶目だよな、何がくるのかわからないけれど、その形容詞が、その人にとっての世良公則というアーティストなんでしょうね」

---同時に“でも”に続くのは、聴き手にとって、その時の自分自身を写した姿だったりするのかもしれないですね。

「結構、自分を重ねて僕たちに言葉を投げかけているんだよね。素敵ですよね、カッコいいですよね、パワフルですよねって言ってくれる人たちは自分がそうありたい。“世良、劣化したよな”っていう人たちは自分の劣化を恐れているのかもしれない。でもそこでディスってたけど、この一行だけは引っ掛かるな、と思ったらそこから答えが始まるだろうしね」

---あと、「Rockin’ Roll Loves Kids」にある、“二次元”という2002年当時の時代を切り取った言葉と、“8ビート”というロックの基本リズムでありずっと使われているものが同居している感じが好きでした。

「まさにそれを歌いたかったんです。僕らの現場にもどんどんモニターが入ってきて。フェーダーから波形から全部映って、全て画面上で処理できる。この曲で歌ったのは、僕がコンピュータを認めた瞬間のことなんですよ。例えば日本人だと、マックスを100として、62の気分と62.8の気分を使い分けるじゃないですか? でも外国の人って感情にしてもハッキリしているイメージがある。で、コンピュータって二進法で、“0”と“1”の積み重ねで処理するんだけど、“0”と“1”を重ねていけば、62.8%の気分をピッタリ表現できる、と。デジタルなんて、って周りが言ってる中、ちょっと待て、僕たちがアナログのツマミでこの辺、なんて感覚でやっていることを、もっと厳密に寸分違わず表現できる。それって究極のアナログじゃないか、って。しかも本気で使いこなせるのは日本人だと思ったの。藍色の深さを知っている人間でないと、コンピュータで藍色の深さを出せない」

---微妙で繊細な違いを感じていないと、それを再現することもできないわけで。

「そう。だとしたら、デジタルの世界で生き残れるのは日本人だと。で、二次元の画面上には永遠のロックンロールを表現する力があると感じたわけですよ。この詞では、女の子が“Mamaも揺られたスクールバスで退屈なオシャベリ”をしているんだけど、私こんなところで止まってられないと思っているんだよね。なぜなら世界は最先端を更新し続けていて、そこで自分は生きられる世代だ、っていうことをよく知っているから。コンピュータでやっているミュージシャンに対して、ロックンロールは手で作るものだよ、と言う人もいる。でも24時間 Keyを叩き続けている彼らは打ち込みでちょっと溜めたスネアとかを作っているし、僕たちの演奏をちゃんと録れってくれるわけだから。彼らが技術とセンスを身につけたら、ロックンロールは永遠になれるっていうことを当時思ったの。あれから十数年経ってそうなったもんね」

---で、今聴くと、デジタルの感覚が進んだがゆえに、そこにアナログを持ち込んだら面白いものが生まれるかもしれない、という可能性も孕んでいるようで(笑)。

「そうそう。そうやって読み解いてくれると面白い(笑)。言葉じりだけを捕まえて文句を言っても全然かまわないし。だってそのように作ってあるからね。ここは突っ込まれるなと思っても、自分と重なっていたら描き直さない、っていうことをしたんですよ」

---その余白は受け手に何かを訴えてきます。そして「1977」は、原点を感じさせる曲ですね。1977年がデビュー年でもありますし。

「インディーズとして2枚発表してきて、『1977』は集大成になったんですよね。ローリング・ストーンズに出会って、1968年から音楽活動を始めたわけだけど……」

---「1977」の歌詞にも1968とあります。

「その下りは1968年を指しているんです。僕の、『ストーンズが聞こえた街』という曲のサイドストーリーになっているんだけど。仲間と出会って、バンドを組んだ。それから彼らの夢を背負いメジャーの世界に飛び込んでやってきた区切りとして自主レーベルでアルバム2枚作ってきた中で、初期衝動を取り返せたな、と感じたんだよね。だから「1977」の中で“心が「yes !」と叫んでた !”という1行にその確信を入れ込んだんです。僕はバンドを始めた当初に 、“心が「yes !」と叫んでる”ことを感じてたし、今もそうだな、って確信。その自分を信じているし、だからこそ、どういう形だろうが、ロックをやり続けていくし、やっていることそのものがロックだから、ロックを定義する必要はない。ロックとはなんぞや?訊かれた時に、“ロックは人生だよ”という言い方は止めようと。ロックは所詮ロックだし、ただの音楽。そういうことを自分の中で気付いたというか」

---でも、“心が「yes !」と叫んでた !”とリアルに歌えている間は、進むこの先にもロックは自分の核にあるもの。

「そうですね。その時の自分に戻るということはバックしているわけじゃなくて。そこの違いは、 “今に、あの時の自分自身を連れてこれているか”なんですよ。置き忘れてきていたら原点に戻って、その間の何十年を後悔したり、清算しなければいけないけれど。転がりながらフッと見たら、1968年にロックンロールやりてぇ、って言ってた僕がずっと付いてきているの。『UNDER DOGs』で、“自分の影を振り切れない”と描いているように、一生懸命走って走って走ってきても、悩みも含めた自分の影なんて振り切れるものじゃない。そいつと付き合いながら、1968年の“yes !”って言った俺とずっと一緒に転がっているっていう」

---悩みも初期衝動も抱えて進んでいる、だから歌詞も演奏も当時のままでも、今という音楽としてマスタリングし直したり、演奏したりすると、現在のメッセージとして響くのかもですね。

「でしょうね。悩んで何かをやった、でも全部それが消えたかっていったらそうではなくて、結局ずっと付いて回るじゃない? 後悔、失望、不完全燃焼もずっと付いてくる。でもそれも含めて自分だ、って受け入れてる。『ボクを許さないで』で、“泣いてわめいて すがりついても きっと、ボクを許さないでよ”と描けた時に、それができた気がしたんだよね。この“許さないでよ”は、覚悟が決まらないと言えない言葉だったし。現在は過去と未来に繋がっているように、この3作は、全部の歌詞が繋がってるんです。だから、塊で3部作を作っている感じだったんですよ。で、当時の想いと今の俺がまたシンクロしていて。その時の僕が未だに付いてずっとローリングしてるって現在また実感している。その時々の頑張ってた自分、悩んでた自分、いろんな僕が全員で併走しているからいつでも、50代にも、40代30代20代、10代の自分に向き合える。自分の一部だから、いつでも向かい合えるものだよね。向かい合うのが怖くて、蓋をしていたとしても確実に一緒にいる」

---その蓋が全然意図していない時に外れたり。

「それでいきなり出てきたりして、落ち込んだり、元気が出たりするんだけど。絶対に戻れないからね、誰も」

---そう思うと、この3枚が『SPICULE』で1つのパッケージになることも新しいメッセージとなりそうですね。

「この3枚で1枚のようなもの、って作っている時も言ってたし、1枚ずつ作業を終えて、まだ言ってないことあるかな、と考えながら描いてたからね。今こうやって纏めて聴いたら、未だにそこが歌いたいとか、たぶん10代の僕はこういうことを歌いたかっただろうな、70になってもこれを歌えるな、と思えるし。この3枚の楽曲が時間を一気に超越して、新しい生命みたいな感じでいてくれていることに感謝をしていて。これは一生やれるな、と思った」

---そう思えるのは、自分の全てを受け止めた作品だということですね。それこそ矛盾すらも。

「だって、矛盾しているのが人間だからね。この頃ライヴで言い始めたのは、“もう恋なんてするものか!と叫んだ後で、I LOVE YOUと歌ったりするのが俺たちだからね”って(笑)。“夢も希望もないこの世界って歌っていながら、拳握って立ち上がれ”と歌うのが僕たちだから」

---それはどちらも歌う瞬間には本気で思っているわけで。

「そう、それも含めて人間だから。そこをしっかり意識して作り始めたんだよね。30代で、強い世良とか兄貴、と後輩が慕ってくれた自分を全部排除した後のアルバムだから。いい意味で己が1匹だし。所詮1匹だし。その1匹が息をするうちに、『美しい月』でも書いたような、相手の温もりがちゃんと伝わってきたんです。周りを見たら、楽器を構えてくれている人がいる、フェーダーを握ってくれてる人がいる。そこをちゃんと意識するようになる。そうやって、己が1人を痛烈に意識することによって、他の1人を認識するってことを徹底してやった結果、行き着いたんですよ。30代の終わりに弟分の人たちと絶縁状態にして。何年かやって、40代に入ってきた自分がポッと音楽を描いたらここにきました、この5〜6年こうやってやってきましたみたいな。そして、恐らく一生こうでしょうという1つの試金石みたいなものが自主レーベルからの作品ということで、圧縮されたんだよね。良いも悪いも全部ね」

---凝縮された?

「凝縮だと、いい部分だけ集めたみたいでしょ? そうじゃなくて、圧縮。鉛筆の削り糟も含め全部をプレッシングしたのがこのアルバム。それが、このタイミングで出ることにも面白さがある。一般的には、40周年を迎えるアーティストは、大人びたことが言えて、大人びた演奏ができて、あの時は……っていう回顧録でいいわけじゃん? でも僕は、今回、これを出したことによって、全部の時間と時々の自分を“置いてきてないんだよ”ってことがよりリアルになっている」

---で、世良さんはこれからも時々の自身と併走しつつ、新しい自分に出会っていくんですね。

「俺たちってパラパラ漫画みたいなもので、やればやるほどページが増えていくんですよ。絶えず新しいページに、1つ前の自分を投影して、そこから少しだけ動いている自分を描いていく。で、ちょっとだけ前の自分と違うことによって、違うシチュエーションが生まれて、違う物語になっていく。ちょっとした違いがちょっとした良さに繋がっていくし、キャリアに、スキルに繋がっていく。全てが前の自分という下絵を受けていることと、そこからちょっと違う自分が今いると認めることが大切だと思う」

---それが転がっていくということ、だと。そしてこの3部作には、後にGUILD9に繋がって行くメンバーが参加しているわけですが。サウンドのやり取りもフレッシュであり、でも血が通い合う呼吸感もあって(笑)。リマスタリングされて音と音の会話もより感じられるようになりましたね。

「“吉野屋の牛丼でいいよ”ってことできてくれたミュージシャンがいたり。何も訊かないで参加してくれた神本くんという高校から一緒にやってきたオリジナルメンバーがいたりするんだけど。意外とみんなもフレキシブルな演奏をしてるんだよね。野村義男もコミカルなことを弾いていたり(笑)。当時は、多くの引き出しがあって、ギター1本で生き抜いてきたという自負があるんだな、スゲェな、思った通りの人だわ、と感じてたんだけど。リマスターで聴くとスゲェ変なヤツだな、と思った(笑)。人と違うことをやりたい、っていう遊びが半分以上あって、弾き切れてないところが結構あるの。これ、メジャーアーティストの現場だったら絶対弾き直しただろう、ってことも、しくじっているけど面白いってことを世良さんならわかってOK出してくれるよね、って(笑)。そこまでわかって弾いているみたいな、したたかでお茶目。神本くんにしても、いないの?っていうくらい目立たないようにしている(笑)。これは俺とよっちゃんとギター2人を遊ばせたらいいんだ、ってわかってバッキングに徹していたり、かすかにオルガンがいるかな、みたいなところを狙って弾いてる」

---で、ここ、という時は抜群の音色で出てきたり。

「そうだね。ホントこっちがシリアスに練って作った楽曲で、メンバーが遊んでるっていうのがいいよね(笑)。口幅ったいんだけど、30代後半で自己改革して、アコギ1本でライヴをやったり、垣根をとっぱらったところでいろんな人とセッションもして、血が混ざることを恐れなかった結果、現場で遊べる雰囲気が僕にあったんでしょうね」

---レコーディングって現場の空気感を録るとも言われますが、その通り(笑)。

「だから、この音源の空気は、シビアな世界のものではないんだよね(笑)。ちょっとスッ転げそうになってたり、コロコロ転がってたりするのが、結果としていい空気を作っている。シビアなことを歌っているのに、お茶目なフレーズを弾いていたりことで、哀しく思えたり。面白いよね」

---この演奏がこのアルバムでの世良さんが完成されていないところに繋がっていますよね。

「そう、完成させてはいけないアルバムだったんだよね。長い時間をかけて、スッゲェ演奏してたら、ツマンネェって感じただろうし、自分で最初のデモテープに戻していたかもしれない。でも、この音源では、ちゃんと不完全で収めていて、それはミュージシャンも勇気があったんだと思うし、ジャッジする僕にも勇気があったんでしょうね。演奏の隙という鉛筆の削り糟まで入れたことで、リアルになったと思う。そこを野村義男も理解して、作り切る1歩前の音ですよね、ってところで止めているよね。その完成させない面白さみたいなものが、未だにGUILD9では継承されてるな(笑)。“リハと違います、世良さん”とか未だにやってる。それもこのアルバムを作ったことで生まれた1つですね」

---見るベストの形が作品によって違う、ミュージシャンって面白いですね(笑)。

「ミュージシャンであることの面白さ、笑っちゃうよ、っていう感覚で、これからもあと10年、20年やらせてもらえるな、と『SPICULE』を出せたことで思えているんですよ。ある意味、アーティストには、完璧なことができなくなったから辞める、っていうアスリート的な面もあるじゃない? でも、完璧でないこともまた楽しめる音楽ができるんじゃないかと。ステージで椅子に座ったままやってるけど、あいつスゲェわ、って言わせたいとか。──それで今もアコギでのライヴは敢えて立たずにやっているところもあるんだけどね(笑)。立ってやっている様もカッコいいし、座って弾いてるのもカッコいいよね、そう感じさせられるなら引退はないな、と。そこまでいける感覚があるんですよね。僕が倒れるまでは自分で活動を制限したり、自分を評価したりっていうことはしなくていいだろう、って(笑)。対して毎回アルバムは完璧でなきゃいけないという人たちもいるし」

---それは美学の違いですしね。

「うん、美学ですよね。それは完璧なものを作る人を尊敬するし。完璧に仕上げる人たちの仕事場に行くと勉強になるから、食らいついたり見たりしているんだけど」

---この形が世良さんの自然体なんでしょうね。円を描いたとして、ちょっと凹んでたりするけど、そこにも“らしさ”とメッセージがあって。

「で、本人は極力綺麗な円を描こうとしているのがミソだよね(笑)。そこに意図はなくて結果として、歪んでるっていう。例えばコンパスで円を描くにしても、筆をつけたなら、濃い薄い太い細いが出る。墨がゆき過ぎたところは歪むし、という状態なんだよね。陶芸と一緒でだよね。焼いて出てくるまでどうなるかわからないという」

---世良公則という円を正しい形で描くために、いろんな内面を音楽にした3枚ですし、わざと歪ませたわけではないっていうね。

「そう、そのためにいろんな想いを詰めこんだから余計にリマスタリングする時、田中さんは苦戦したんじゃないかな。どの曲のどの面が一番やりたいことなんだろうって。だから全体を聴いて、あの曲ではあんなことをやってたよね。この曲ではこんなことをやってたよな、ということを頭に入れてから、1曲目をどうやって出るかに相当気を遣ったみたい。でもお陰で、今も併走している当時の自身の輪郭がハッキリ出たし、作った時よりも、僕を的確に表現できていると思う」

---周りのスタッフが感じた世良さんという答えをリマスターという形で戻してもらってもう一度自分を見詰める、という作品でもあるんでしょうね。

「それはある。たぶん僕は、デビューから“足りてなかった”から面白かったんだよ。そのお陰で大人たちからは、“あんな演奏力、ロックじゃねぇ”とか、“日本語で、あんたに〜、なんて叫んで演歌じゃん”とかいろいろ言われたけど。もし、ロックの王道として、カリスマが出てきた、というふうにやられてたら、今の気持ちになってないよね。先端のキラキラな音楽を作ってないと、続けられない、それが翳ってきたら辞める、それこそ役者になると言ってたと思う。でも、足りねぇ、足りちゃったらダメだ、って思ってきたんだよね。同時にそれがただの不完全だったら魅力がないわけで。そこを、魅了的だったり、エネルギーがあるとか、なんかスゲェや、っていう代名詞に変えていくことって、20代の頃は意識せずにできてた。だから20代、30代の頃は自分を鼓舞して、ふざけんな、いつでもやってやるというところにいっていたし。ガムシャラにやることで、何かを感じて沢山の人が付いてきてくれてたんですよ。その時期を経て、自分で大改革をして、『SPICULE』の3枚を作っているあたりで、“足りてない”ことが好きでもいいじゃない、と思えたんだよね。本気でやる時にやればいいし、力を付ければ、本当の力になっていくじゃない? さすがに40代半ば、50代、60代になってきたら、ただのバカじゃどうしようもないしね(笑)。ガムシャラさとか足りてない部分をスゲェな、ってところに転嫁していくエネルギーは努力して得ているんだけど、それでも今も足りなくて当たり前ということで現在まできている。だからやれるんだよ、俺は。そういうことを『SPICULE』のリマスターを聴いて改めて感じたし、足りないからこそ、たぶん、70歳になっても80歳になっても、転がり続けながらやっているし。宇崎竜童さんに“90歳になってもやっているわ”って言っていただいたのは、そこじゃないかな、と思うんですね」

ライター:大西智之
PHOTO: 平野タカシ