【Special Interview】リスナーの思いとラジオに携わる者としてのメッセージ。双方向のコミュニケーションを通して生まれた「ラジオと君と僕のうた」
ラジオをこよなく愛する浜端ヨウヘイが番組リスナーと共に作り上げた『ラジオと君と僕のうた』。まさにこのコロナ禍の中で出来上がったこの曲は、自身にとってどのような存在なのか、制作の過程を振り返りながら、この曲ができるまでの経緯とともに、どのような気持ちで作り、完成した曲なのかを聞いてみた。
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レギュラーを務めるラジオ番組の中で、リスナーと自らの思いを紡いで完成させた『ラジオと君と僕のうた』
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この曲はレギュラーを務めるラジオ番組から生まれた曲ということですが、どのようにして出来上がったのでしょうか?
浜端
バックグラウンドから話すと、僕が『Augusta Caravan in RKB』のレギュラーを務めるRKBラジオのステーションジングルを作らせて頂くっていうお話がまずありまして。そのジングルをRKBラジオのリスナーさんたちと一緒に作ろうという企画で、「ラジオと私」っていうテーマでエピソードを募集して、それを僕が歌詞にまとめて歌にしたんです。もともと「聴いててよかったRKBラジオ」っていう局のキャッチコピーがあったので、ジングルでは最後の部分は「♪聴いてて~よかった~RKBラ~ジオ」となっています。
ジングル用の短いフレーズ、すなわちフルサイズになった時のサビの部分だけを作るという大枠があって、その一番最後にはキャッチコピーを入れるっていうところまでは決まっていたので、それ以外の部分をリスナーさんからのエピソードをもとに歌詞を紡いでいくという流れでしたね。
最初の時点で「ラジオと私」っていう関係性が「家族でもないけど友達よりはもうちょっと近い」みたいなものじゃないかな、というのを頂いたお便りからも感じていたので、ラジオっていう存在とリスナーとの距離感というものを考えながら書き始めました。
そのジングルが完成してから半年から1年ぐらい時間が空いたと思うんですが、『Augusta Caravan in RKB』で2020年の春以降、コロナの影響で従来のようにマンスリーゲストを招くことも難しくなってきて、ここからどんなことをしていこうか、という相談をしていた時に、「じゃあ、このジングルをフルサイズの1曲に完成させましょう!」となったんです。非常にカロリーの高い大変なプロジェクトになるなとは思いましたが、じっくり時間をかけて作っていこうとスタートしました。
結果的に番組内での制作にはどのくらいかかったんですか?
浜端
作業工程でブロック分けしながら進めていきました。最初から歌詞だけじゃなく、レコーディングからミックスダウンまで全部リスナー参加でやろうと。歌詞の募集期間だけでいうと半年ぐらいかかったんじゃないですかね。並行して曲を作っていって、歌詞ができて、弾き語りデモの状態で聴いてもらった後も、アレンジの相談をしたり、僕が作業している途中の音源とかも聴いてもらって「どっちがいいですか?」みたいなやりとりの期間が何ヶ月もあって、その時点での完成形(ホームレコーディングver.)を聴いてもらえたのが今年の3月ですね。
そうすると、先に詞ができたっていうことですか?
浜端
実はジングルを作った段階で、サビだけというのもなぁと思って、サビの続きには間奏があって2番があって……とか、Aメロはこんな感じかな……とか、ぼんやりと構想はあって、2019年のうちに用意は始めていたんです。そこにリスナーさんからの言葉をもとにした歌詞が出来上がって、そこをくっつけてメロディーがはっきりと出てきたっていう感じです。
コロナ禍が始まってから1年半くらい経っているわけですが、この曲の「♪なんでもない日常が、なんだかいい日に変えてくれる」っていうところって、去年、浜端くんが(寺岡)呼人さんと一緒に作った『世界にひとつの僕のカレー』の同じくコロナ禍において「大切な日常というものって何だ」っていうこととリンクするな、と思ったんですが。
浜端
僕としては実は無意識だったんですけど、歌詞を見ながら聴いていると、特に今みたいな状況においては、やっぱりこういう「なんでもない日常の大切さ」みたいなところに帰結していくのかなと思いました。
それって大きなテーマだし、同じ時代を生きるリスナーさんたちが今思うことをすくい上げながら作ったからっていうことでもありますよね。
そんな今、YouTubeとかSNSとか、映像で見るメディアが席巻する中で、昔からあるラジオというメディアも見直されたり、エリアや時間に縛られない新たな聞き方ができるようになったりと進化もしています。2014年のデビューシングル『結 -yui-』が全国40局以上でパワープレイを獲得してFMの月間OAナンバーワンになったり、メジャーデビューシングル『カーテンコール』の時にもAMラジオの月間OAチャート1位になったり、そして今現在も3番組のレギュラーを担当していて、浜端ヨウヘイとラジオっていうのは切っても切れないものだと思うんです。改めて浜端くんにとってラジオの魅力ってどんなところですか?
浜端
radikoが登場して以降、ラジオっていうものがより聴きやすくなって、身近になったということに加えて、最近はClubhouseとかTwitterの“スペース”とか、ラジオっぽいプラットフォームもすごく増えてきていますよね。それって、映像は目で見なきゃだめですけど、ラジオは何かしながら聴ける。車を運転しながら、とか。そういう何かをしながら誰かの話を聞くっていう行為が生活に入り込んでいるからで、今からもそうしたラジオ然とした使い方がより身近になっていくんじゃないかなと思っています。
この曲はリスナーからのアイディアを集めてできた曲ですが、一方では曲を届けてくれる全国のラジオ局や番組で関わるスタッフの方々とか、そういう人たちに向けた浜端くんからの感謝の歌なんじゃないかな、というふうにも思えたんですが?
浜端
そうですね。これまでざっくりと「ラジオのリスナーさんたちと作った」と説明してきているんですが、まさにおっしゃる通りで、この曲を作る過程ではリスナーだけじゃなく、番組のディレクターさんとかプロデューサーさんとか、いわゆる「中の人」からもたくさん意見を聞きましたし、長年ラジオに関わっているRKBラジオの偉い方からも思いを綴ったメッセージを頂いたりしました。
この曲の中で、リスナーの思いを代弁するという気持ちは半分ぐらい。残りは僕自身の喋り手・パーソナリティーとしての目線、それから番組の作り手の感覚とかもひっくるめて。
よく言われますけど、ラジオはこちらから発信するだけじゃなくて、聞き手の声がちゃんと届く双方向のメディアだっていうことはずっと念頭にあったので、リスナーさんの気持ちだけを語るというよりは、喋り手としての僕の思いも込めています。「♪出会えてよかった今日もありがとう」っていう一番最後のフレーズなんかは喋り手側の目線からも思うことですね。それをリスナーさんも感じてくれてるな、というのは番組をやっていてすごく思います。なので、僕からの発言であり、リスナーの皆さんの思いであり、っていうところはちゃんと伝わるような歌詞にしたいなと思いながら書きましたね。
そういうバックグラウンドが語られることでひとつひとつの歌詞の聞こえ方がまた違ってくる気がします。やっぱり、どんな目線で見るかによって曲の意味の受け取り方って変わってくると思うんですが、この曲についてはどうですか?
浜端
今話していて、以前、スタッフの方に聞いた『なごり雪』の話を思い出したんですが、それはホームから見送る彼の視点でもなく、見送られている彼女の電車の中からの視点でもなく、ただただ窓に積もる雪の目線なんだっていう。
この曲の歌詞としては、まず、たくさんのリスナーさんたちからお寄せ頂いた言葉ではあるんですけど、そこに喋り手側の意見も入れたいなと思ったり、いろいろ考えた時に、リスナーと喋り手の間にあるのは結局、ちっちゃいトランジスタラジオだなというイメージなんですよね。なので、ラジオが常にど真ん中にあるような気持ちで書いています。ラジオの目線っていうとなんかちょっと変なんですけど、受け取ったものを取り込んで送り出すっていう意味ではラジオ目線なのかもしれないですね。
なるほど。ラジオってモノでもあるけど、コミュニティでもあると思うんですよね。ラジオを聞いている時って多くの場合が一人で、その一人一人が集まったものがコミュニティ。ラジオという名の同じ目線のコミュニティが存在していて、その目線という感じがするんですが。
浜端
これもリスナーさんたちとコミュニケーションしながらギリギリまで悩んで決めたことなんですけど、タイトルに「ラジオと」って付けたんですよね。1番の歌詞は「君がこういう話をしてくれたよね」って、友達との歌にも見えつつ、2番になると「電波に乗せて」っていう言葉が出てきたり、タイトルを見れば『ラジオと君と僕のうた』で、ラジオが主人公の歌なんだって分かると思うんですけど。だから、コミュニティというよりは何かもう少しラジオを擬人化して書いたような感じです。
ラジオから受け取った言葉とか曲との出会いとか、ちょっとしたことで、ラジオを聞いている時だけは嫌なこととかも忘れて、なんでもない今日がちょっと特別な日に変わったりするんじゃないかな、というイメージがあって。特に今のような実際には集まれない日々の中で、みんなで時間をかけて知恵を出し合えばいいものができるだろうと思って始めた企画なので、おそらく参加してくださった皆さんはそういう感覚を持ってこの曲を聴いてくださっているだろうなと思いますし、初めて曲に触れてくれた方にもその感じが伝わったらいいなと思います。